『源氏物語』という試金石
翻訳者が違えば別の作品になる。この事実をいちばん分かりやすく示しているのが『源氏物語』の英訳です。二十世紀のあいだに、性格の異なる全訳が複数生まれました。
原文には主語がしばしば書かれず、敬語の使い分けで誰の動作かが分かる仕組みになっています。英語にはその仕組みがないので、訳者はどこかで主語を補うか、別の方法で関係を示すかを選ばなければなりません。この選択が積み重なると、同じ場面が別の速度で進み始めます。
自分の本棚が外からどう見えているかを知ると、読み方が少し変わります。誰が訳し、どこが出し、何が選ばれてきたのか。日本語で読む側にとっても他人事ではない話です。
翻訳者が違えば別の作品になる。この事実をいちばん分かりやすく示しているのが『源氏物語』の英訳です。二十世紀のあいだに、性格の異なる全訳が複数生まれました。
原文には主語がしばしば書かれず、敬語の使い分けで誰の動作かが分かる仕組みになっています。英語にはその仕組みがないので、訳者はどこかで主語を補うか、別の方法で関係を示すかを選ばなければなりません。この選択が積み重なると、同じ場面が別の速度で進み始めます。
| 訳者 | 刊行 | 性格 | 読者への効果 |
|---|---|---|---|
| アーサー・ウェイリー | 一九二〇年代から三〇年代 | 英語の小説として読ませることを優先 | 英語圏で最初に日本の古典を文学として通用させた |
| エドワード・G・サイデンステッカー | 一九七六年 | 原文の構造に寄せた簡潔な訳 | 研究と一般読者の両方に長く使われた |
| ロイヤル・タイラー | 二〇〇一年 | 敬語と呼称の体系を英語で再現しようとする | 註が厚く、原文の仕組みが見える |
どれが正しいという話ではありません。翻訳とは原文を別の言語に移す作業であると同時に、その言語の読者にとって読める形を選ぶ作業でもあります。日本語の古典を現代語訳で読むときに訳者を選ぶのと、まったく同じ問題です。
日本文学が英語圏に届いた経路をたどると、そこには必ず特定の翻訳者がいます。作品が選ばれたのではなく、その作品を訳したい人がいたから届いた、という順序のほうが実態に近いことも多いのです。
川端康成の『雪国』をはじめとする作品を英訳し、のちに『源氏物語』の全訳も手がけました。川端が一九六八年に日本人として初めてノーベル文学賞を受けたとき、英訳の存在が果たした役割は大きかったと言われます。翻訳がなければ、選考の対象にすらならないからです。
日本文学の研究者として、古典から現代までを英語で紹介し続けた人です。翻訳だけでなく文学史の記述を通して、日本文学という分野そのものを英語圏に成立させました。晩年に日本国籍を取得し、日本に住み続けたことでも知られます。
アルフレッド・バーンバウムが初期の作品を、ジェイ・ルービンとフィリップ・ガブリエルがその後の長編を訳してきました。同じ作家の作品でも訳者によって英語の手触りが変わるので、英語版の読者は訳者名を見て選びます。
村田沙耶香『コンビニ人間』はジニー・タプリー・タケモリ、小川洋子の作品はスティーヴン・スナイダー、多和田葉子『献灯使』はマーガレット満谷が英訳しました。いずれも二〇一〇年代以降に英語圏で日本文学の存在感を押し上げた仕事です。
翻訳は双方向です。英語圏の小説を日本語にしてきた訳者たちの仕事があってこそ、日本の読者は海外の文学を読めてきました。作家自身が翻訳者を兼ねる例も日本では珍しくなく、その経験が自作の文体に還ってきます。
一人称の使い分け、敬語、語尾による人物の描き分け、擬音語と擬態語、そして縦組みを前提にした改行。どれも英語に対応する仕組みがありません。訳者は失うものを選び、その代わりに別の手を打ちます。
翻訳された日本の本は、英語圏では大きく三つの棚に分かれて出ています。それぞれ版元の性格が違い、選ばれる作品も違います。
古典と近代文学は、古典叢書を持つ大手や、翻訳文学に強い中小の版元から出ます。谷崎、川端、安部、大江といった作家の作品が長く版を保っているのは、こうした版元が古典として扱っているからです。
現代の作家は、英語圏の大手出版社から一般の小説として出ます。文学の棚ではなく、書店の平台に並ぶという意味です。近年は日本の翻訳小説が英語圏の売れ行き上位に入ることも珍しくなくなりました。
漫画は専門の版元が担っていて、刊行点数では文芸の翻訳を大きく上回ります。ライトノベルも同様に専門の枠があり、日本での刊行から一年以内に訳が出ることも増えました。この棚の事情は第五巻で扱っています。
短いこと、固有名詞の説明が少なくて済むこと、日本の制度を知らなくても筋が通ること。この三つが揃った作品は訳されやすくなります。逆に、日本の学校制度や職場の慣行が前提になっている作品は、面白くても訳が出にくい。翻訳の棚は、日本文学の代表作の一覧ではなく、翻訳しやすさという条件をくぐり抜けた作品の一覧です。
翻訳出版は採算が合いにくい仕事です。それを支えている仕組みが二つあります。
翻訳の話は、外国語を読まない人にも効きます。自分が当たり前だと思っていた日本語の特徴が、外から見て何に見えているかを教えてくれるからです。
なります。『源氏物語』の英訳が複数あり、それぞれ読み味がまったく違うのがいちばん分かりやすい例です。原文に忠実であろうとする訳と、読みやすい英語として成立させようとする訳では、同じ場面が別の速度で進みます。どちらが正しいという話ではなく、何を失うかの選択が違うだけです。現代語訳を選ぶときも同じ判断が必要になります。
海外の版元が権利を買い、翻訳者に依頼して出すのが基本の流れです。きっかけは編集者の関心、著作権エージェント、翻訳者自身の売り込み、国際的な賞の候補入りなど様々です。翻訳出版に対する助成の仕組みもあり、採算の合いにくい作品を後押ししています。一冊が出るまでに数年かかることは珍しくありません。
あります。どの作品が翻訳されているかを見ると、自分が当たり前だと思っていた日本語の特徴が、外から見て何に見えているかが分かるからです。訳しにくい要素を数えるだけでも、原文の読み方が変わります。加えて、古典の現代語訳を選ぶときの判断力がそのまま身につきます。
あります。註の厚い英訳は、原文の敬語や呼称の体系を説明しながら進むので、日本語の現代語訳より仕組みが見えることがあります。ただしそれは英語が優れているのではなく、外国語として説明する必要があったからです。同じ効果は、註の詳しい日本語版でも得られます。