短い答え
本を選ぶときに要るのは、好みの前に四つの質問です。何を知りたいのか、どれだけ時間があるのか、紙で持ちたいのか、いくらまで出せるのか。この四つが決まると、五つの棚のうち行くべき場所はひとつに絞られます。
四つの入口から入る
「おすすめの本はありますか」という質問に、まともに答えられる人はいません。情報が足りないからです。同じ人でも、通勤の三十分に読む本と、休みの日に腰を据えて読む本は違います。だから最初に決めるのは書名ではなく、条件のほうです。
条件が決まれば棚は自動的に決まります。以下は、この雑誌が実際に使っている振り分けです。
| 読みたい気分 | 行く棚 | 最初の一冊の目安 | つまずきやすい点 |
|---|---|---|---|
| 物語に入りたい | 小説 | 文庫の中編、二百ページ前後 | いきなり長編の代表作を選ぶこと |
| 現実を知りたい | ノンフィクション | すでに評価の定まったルポ一冊 | 新しさだけで選ぶこと |
| 考え方を仕入れたい | 人文書と新書 | 新書の概説を一冊 | 原典から入ろうとすること |
| 静かに過ごしたい | 随筆と日記 | 五ページで完結する短文集 | 通読しようとすること |
| 絵で読みたい | 漫画とライトノベル | 全一巻か全三巻の完結作 | 未完の長期連載に手を出すこと |
この表の右端の列が本題です。読書がうまくいかない原因は、たいてい趣味の不一致ではなく、入口の選び違いにあります。
棚を五つに分ける
書店の分類は、取次と版元の都合でできています。文芸、実用、人文、コミック、児童。読む側の感覚とは半分しか合っていません。そこでこの雑誌では、読む姿勢のほうから五つに分け直しました。それがジャンル手帖 全五巻です。五冊は独立していて、どこから読んでも構いません。
- 第一巻 小説を読む。二葉亭四迷の言文一致から、いまの芥川賞まで。日本の近代小説がどう変わってきたかを、読む順番の話として書いています。
- 第二巻 ノンフィクションを読む。評伝、ルポ、記録文学、紀行、調査報道。事実に取材した本の五つの型と、その見分け方。
- 第三巻 人文書と新書を読む。岩波新書が一九三八年に始めたこと、そして概説から原典へ進む順番。
- 第四巻 随筆と日記を読む。『枕草子』『方丈記』『徒然草』から現代のエッセイまで、日本語がいちばん長く続けてきた形式。
- 第五巻 漫画とライトノベルを読む。掲載誌が読者層を決めるという仕組みと、単行本、文庫版、完全版、愛蔵版の違い。
五つの棚のどこにも収まらない本は必ず出ます。歌集や句集、写真集、図鑑、辞書。それらは総目次のほうで扱っています。
本の形を先に覚える
ここが飛ばされがちなところです。同じ内容の本が、四つも五つも違う形で売られています。四六判の単行本、A5判、文庫判、新書判。装丁も上製と並製で分かれ、綴じ方も糸かがりと無線綴じで寿命が変わります。
形の名前を知らないまま買い続けると、同じ本を二度買ったり、開きにくい版を選んだりします。本の言葉に、書店と古書店で実際に使われている用語を判型の寸法つきでまとめました。奥付、帯、そで、見返し、スリップ、Cコード。どれも毎日目にしているのに、名前を教わる機会がないものばかりです。
ひとつだけ覚えるなら
版と刷は別のものです。版が変わるのは中身が組み直されたとき、刷が変わるのは同じ版で刷り増したときだけ。古書の値段も、引用のときに書くべき情報も、この区別の上に成り立っています。
買う、持つ、探す
日本の新刊書籍は再販売価格維持制度のもとにあり、定価はどこで買っても原則同じです。値引き競争がない代わりに、店の個性が棚に出ます。だから買う場所の話は、値段の話ではなく在庫と速度と信用の話になります。
- 本はどこで買うか。大型書店、独立系書店、古書店と神保町、ネット書店、電子書店、そして無料で読める青空文庫と図書館の使い分け。
- 初版第一刷の見分け方。奥付の読み方と、版と刷の違い。初版が値段になる本とならない本の境目。
- 全集、愛蔵版、箱入り本。長く持つことを前提にした版の選び方。中性紙と糸かがり綴じという、寿命を決める二条件。
探す技術も買う技術のうちです。品切れ重版未定の本は新刊書店では動きませんが、古書の横断検索と図書館の蔵書検索を併せて使えば、たいていの本は三日以内に手元に来ます。
読む時間をつくる
本を選べるようになった人が次に困るのは、読む時間です。ここは精神論ではなく、所要時間で選ぶという実務で解けます。
- 最初の一冊の選び方。読書が続いている人が実際にやっている、選び方の癖を七つに分けました。
- 夜ふけの一冊。一晩で読み切れる短編から、三日かかる長編まで。日本文学を所要時間順に並べた入口。
- はばたく書き手たち。樋口一葉から宇佐見りんまで、日本語でいま最も読まれている書き手の系譜。
- 書評。読んだ本について、点数をつけずに書いたもの。誰に向くかと、どこでつまずくか。
- 新着と季節。夏の文庫フェア、秋の読書週間と古本まつり、冬のベスト企画、春の本屋大賞。読書の一年の暦。
日本語の外へ出る本
自分の本棚が世界からどう見えているかを知ると、読み方が少し変わります。日本の本が英語になるまででは、翻訳者と海外の版元と助成のしくみを扱いました。日本語で読んでいる限り見えない、もう一つの評価軸がそこにあります。
この見取り図の描き方
最後に、この雑誌が守っている決まりを書いておきます。読者が判断の根拠を確かめられるように、書き手の側の条件を先に開示するのが筋だと考えているからです。
- 取り上げる本は、買ったか借りたかして最後まで読んだものだけです。
- 版によって内容が変わる本は、どの版を読んだかを本文に書きます。
- 正規に出ていない複製には触れず、案内もしません。
- 紹介料の入るリンクは置きません。書店名を挙げても、そこへ誘導する仕組みはありません。
- 点数や星はつけません。誰に向くかと、どこでつまずくかだけを書きます。
- 間違いが見つかったときは、記事を消さずに直します。
よくある質問
読書を再開したいのですが、何から読めばいいですか
薄くて、すでに完結していて、途中でやめても誰にも迷惑がかからない本から始めてください。文庫の短編集か、二百ページ前後の中編がいちばん失敗しません。厚い一冊を選ぶより、薄い本を三冊借りて一冊だけ最後まで読むほうが、読書は続きます。具体的な選び方は最初の一冊にまとめました。
単行本と文庫と新書はどう違うのですか
判型と役割が違います。単行本は最初に出る大きめの版、文庫はその二年から三年後に出る小型で安い版、新書は最初から新書判で書き下ろされる入門の器です。文庫化のときに加筆されたり、別の書き手の解説がついたりすることもあるので、あとから出た版のほうが読みやすい場合もあります。寸法と呼び名は本の言葉に一覧があります。
新刊はどこで買っても値段は同じですか
日本の書籍は再販売価格維持制度の対象なので、新刊の定価は原則としてどの店でも同じです。したがって選ぶ基準は値段ではなく、在庫があるか、いつ届くか、その店の棚が信用できるかになります。値段が動くのは古書と電子書籍で、そこは買う場所の記事で扱っています。
電子書籍と紙は、どちらを買うべきですか
読み捨てるつもりの本と、検索したい本は電子が向きます。何度も開く本と、貸したり譲ったりする可能性のある本は紙が向きます。電子で買うのは所有権ではなく利用の許諾なので、十年後も同じ書棚で読める保証は誰にもありません。それを承知のうえで使えば、置き場所の問題は消えます。
この雑誌は本を売っていますか
売っていません。書店でも版元でもなく、読んだ本について書くだけの読書誌です。紹介料の入るリンクも、費用を受け取って書いた記事もありません。だからこそ、ある本を勧めない理由も書けます。